13年前のこと | 貴にゃんと一緒♪

13年前のこと

13年前の今頃、私は何をしていたかというと。


その頃はまだ、主人とクーとの静かな暮らしだった。

あの日の午前5時半頃、ふと目が覚めた。

とても寒く、まだ起床時間には間があるので、

ベッドの中でうつらうつらしていた。


そして、5時46分。

今まで体験したことのない大きな揺れが襲った。

何かが倒れる音がする。

さっきまで足元で寝ていたクーがいない。

探そうと思ったけれど、立ち上がることができない。

どうしようもなく、ベッドの中で揺れが収まるのを待った。


暗い中、クーの名前を呼びながら、

押入れの中を手探りで探すけれど見つからない。

リビングへ行くと、いろんな物が倒れて、散乱している。

こたつの置いてある部屋に行き、布団をめくると、

クーは、その中で小さくなって大きな目を見開いていた。

抱き上げると、小さく震えていて、私の腕をすり抜け、

こたつの中へ、再度逃げ込んだ。


電気はもちろんつかない。電話もつながらない。

その頃、まだうちには携帯電話はなかった。

暗いし寒いし、余震は続く。

仕方がないので、ベッドに戻って寝た(えっ!)


7時過ぎに起きて、窓を開けて辺りを見回す。

瓦が落ちたり、倒壊しかかった古い家が見えた。

この頃、住んでいたのは明石の西部で、被害は少なかった所。


10時過ぎ、電気が復旧(早かった)

テレビをつけたら、驚愕の事実を知った。

言葉にならなかった。

ちょうど、神戸の中山手にあるNHKのビルが映った。

広い壁に大きな亀裂が走っている。

当時、私が勤めていた会社の本社事務所が、

その向かいにあった。とても古いビルなので、

きっと倒壊してると思った。


電話も通じたので、会社にかけてみる。

電車はもちろん不通だけれど、私は原チャリで通勤していたので、

行こうと思えば行ける。でも、行っても誰もいなかったら仕方ないし。

なので、とりあえず指示を受けようと思って事務所に連絡する。

虚しく響くコール音。もしくは、話し中の音。

昼過ぎ、ようやくつながった。

副所長が出て、無理して来なくてもいいと言われたけれど、

所長以外みんな(といっても3人)来ているそうなので、

行ってみることにした。


原チャリに乗って、国道に出る。

信号は作動していない。車がいっぱいで全然進まない。

路肩には所々亀裂が入っているし、側道から曲がってきた車が、

通せんぼするので、歩道を突っ走っていく。

運転するのがこんなに怖いと思ったのは初めてだった。

いつもの倍くらいの時間をかけて到着。


倉庫の商品を積んである重い棚が動き、

商品は床に散乱。

事務所のキッチンの冷蔵庫の上に置いていた、

食器ケースは落ちて全滅。

机上もグチャグチャ。2台のパソコンも転落。


本社とは連絡がつかず、

電気もガスも水も使えない。

この先、どうなるんだろうと不安に思いつつ、

片付けに勤しむ。

ここの大家さん、スゴイ方で、

万が一のために、駐車場の下を貯水槽にしてあって、

トイレだけは、そこの水を使って使用できた!


この営業所は、神戸市西区にあって、

比較的被害の少なかった所。

すぐ近くにある大型スーパーが、商品限定で販売するというので、

片付けの合間に買出しに行った。

パンやインスタントラーメンをカゴに入れて、レジに並んでいると、

近くで働く友達に会った!

お互いの無事を確認できて、とにかく嬉しかった。


夕方、暗くなる前に帰宅。

その夜のことは、あまり覚えていない。

たぶん、テレビに映し出される信じられない光景を、

ふたりして黙々とみていたのだと思う。


神戸まで電車が運行されたのはいつ頃だっただろう?

兵庫駅の近くに住む、クーのママ宅へ、

猫缶持ってお見舞いに出かけた。

その帰り、電車の中から見た深い深い闇が忘れられない。



今日、各所で追悼行事が催され、鎮魂の祈りに包まれる。

合掌。